人が知りたくない事実を知ってしまった時というのは、本当に驚きを隠せなくて声も発せられなくなる事を始めて知った。どうせいつかは知るだろう事実だったとしても、もっと心が成長してから知る事ができればこんな中途半端な事にならなかったかもしれない。 部室の外から、一定のリズムでテニスボールを打ち返す音が聞こえてくる。 何度かのラリーの後、音が止んだ。 「私、お兄さんの事が好き、かも。」 部活が始まって、宍戸が鳳にウォーミングアップを一緒にしようと誘おうと声をかけようとした時に、小さめの手が宍戸の肩を叩いた。 「少し話したい事があるから部室にきてくれないかな。」ウォーミングアップした後でいいよ、と付け足したはいつもと変わぬ様子で言った。「おう、分かった。」と、練習メニューの相談だろうと思い、特に何について話すのか追求せずにいつものように簡単な返事をして、鳳の方へ向かって走り出す宍戸。 今思えば、何かいつもと違う雰囲気がしていたかも、と考えてみる。しかし、いくら考えても特別変わった事なんて無かった。たった数秒の会話で、何かを見抜ける程宍戸は器用ではなかったし、それを宍戸自身も自覚していたのでこれ以上はその時の事について考えようとはしなかった。重要なのは、それよりもずっと前から今の瞬間までである。どうやって俺の知らない所でが兄と知り合い、彼女が兄に想いを寄せるようになったのかが、彼にとって不思議で仕方が無かった。 髪を切ってからの宍戸は、よく女の子に告白されるようになっていた。それに対して、煩わしさを覚えつつも自惚れていた。彼自身、長髪の時の自分が異性どころか同性の同級生ですら近づき辛い雰囲気を醸し出していた事はよく理解している。そんな彼にとって、長い付き合いのある異性の友人といえるのはぐらいだった。彼女に対して恋愛感情を抱いている事に宍戸自身が気づいたのはつい最近ではあったが、本人が気づく随分前から宍戸は一途に彼女の事を想っている。 今の自分ならば彼女を独占する事が出来るかもしれないと、心のどこかで思っていた。それ故に、この告白は宍戸にとって衝撃を通り越して唖然とする事しかでいない出来事であった。 「・・・だから、なんだよ。」 生唾を飲んで、動揺を隠そうと必死に言葉を絞り出した。口の中がぱさぱさに、からからになって、今すぐにでも水分補給をしたい位渇いている気がした。 が兄貴を好きになる前に俺が告白しておけばとか、彼女と兄貴を会わせないようにすればとか、思ってみても、その過去が彼女にとって幸せであればあるだけ俺にはどうする事もできない。 「宍戸には知ってて欲しかったから、報告、というか、なんというか、うん。」 今にも泣きそうな声で、それだけだよ。と言ったの顔を宍戸は少しも見る事ができず、ガットを弄りながら、興味がない事を装うのが精一杯だった。 彼女が自分の胸の内の話をする時は決まって声が震える。高校を外部受験するという話を宍戸にする時でさえも、今にも涙がこぼれ落ちそうな程目を潤ませながらゆっくりと噛み締めながら言葉を発する。でも、決して泣いたりはしない。 「兄貴、彼女いるよ。」 知りもしない事を俺は口走っていた。その瞬間、やってしまったと思っても後の祭りである。 宍戸が放った無責任な言葉は二人の間に恐ろしい程の静かな余韻をつくる。 外で跡部が部員に集合をかけている声が聞こえた。 「そっか、だよねー。なんか、薄々気づいてたかも。」 恥ずかしそうに顔を赤くしながらは笑っていた。こいつ帰り道で泣くんだろうな。と思ってみても、自分に彼女を慰める資格はが全くない分、ただ自分を惨めにさせるだけだった。いつもそうだ。余計な事を言ってしまう事で、自分の首を自分で絞める羽目になる。どうしても、大人になりきれない自分に嫌気がさす。 冷静で居られない俺が余計な事を言った事で、彼女の可能性を踏みにじった。もし、兄貴に彼女が居なくて、二人の間を上手く取り持っていたら、彼女の恋は上手くいっていたのかもしれない。自分勝手な俺は、こみ上げてくる恥ずかしさと罪悪感と闘っていた。 「跡部君が呼んでる。」 「おう」 今、本当の事を、自分の気持ちを素直に打ち明ける事が出来れば、気持ちは楽になるだろうか、この罪悪感は拭えるのだろうか、否、そんな事をするだけの余裕と勇気が俺にはなかった。 帽子を被り直して、ラケットとドリンクを手にして部室のドアをあける。ぎい、とドアの軋む音がした。今まで意識した事の無かった音が、嫌な程耳に残って永遠とループする。どきどきと脈を打つ心臓でさえも五月蝿く感じるほど、俺の鼓膜は敏感になって音を拾う。俺のポロシャツが擦れる音、が鼻をすする音、窓から入ってくる風に靡く書類の音。でも、不思議と部室の外からの音は全く聞こえない。二人の世界の音だけが酷く鬱陶しい。 「教えてくれてありがとう。恥かかずに済んだかも。」 聞こえないふりをして俺はコートへ出た。 いずれ過去になる [宙ぶらりんになった二人の想い。]
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